1 なんで鳥は渡りをするんですか?
  [初出] 2005.08.03  [最終更新]  [平均面白度] 3.83  [投票数] 12  [コメント数] 0
まったく無根拠の思いつきです。今後、考察をしていくためのメモみたいなもんだと考えていただいてもいいっす。

今日、筑波に行きました。ほぼ家からでない生活を送っているぼくとしては特別に遠距離移動をした日であったわけです。で、帰りの電車(上野から家まで)の中で、ふと気になったのが、鳥はなんで渡りをするんだろうか、ってこと。ぼくにとっては筑波往復は「渡り」に似た行動であったから、そんなことを考えたのでありましょう。

電車の中で思い出そうとしていたのですが、いままでに「なぜ鳥は渡りをするのか」という理由をいくつか読んだり聞いたりしたような気がしますが、どうも思い出せない。

かろうじて思い出した「説」のひとつは(うろおぼえですんで、まったく間違っているかもしれません)、太古、鳥はウグイスのように、夏は山の上、冬は低地という具合に、季節ごとに比較的短距離の移動をしていた、と。中には冬はちょっと南、夏はちょっと北という具合に水平移動をしていた連中もあるかもしれない。

そうこうしているうちに、大陸が徐々に移動していった、と。世界地図を見ればあきらかなように、南アメリカのでっぱりはアフリカのくぼみに、まるでジグソーパズルのピースのようにぴったり合う。もしかしたら昔はくっついてたんじゃないの?という具合の、まるで幼稚園児の思いつきみたいなところから出発して、実証的に研究を続け、学問としての大陸移動説を提唱したのがウェゲナーであったんじゃなかったっけ。

移動したっても、たかだか年に数ミリ数センチでありましょう。ごくごくゆっくりとした動き。鳥は去年と同じようにA地点からB地点への移動をしていたはずが、数千年が経過する間に、両地点が数千キロもはなれてしまった、というの。

この説は、なんとなくロマンの香りを感じるのですが、でも、よくよく考えると、この「説」はなんも、鳥がなぜ渡りをするかという理由を説明したものではない。なんで季節ごとにA地点からB地点に移動しなくちゃならないのか、という理由は、なにも説明していないですわね。

総武線の車内でうすぼんやり考えていたわけです。まず最初に思いついた仮説が「えさ」ということ。シベリアに住んでいる鳥は、冬場になるとそこいらへんは雪と氷に閉ざされましょうから、食い物もなくなる。そこで、しかたがないから日本列島あたりの、冬でもなんか食べるものがありそうなところに出稼ぎに行く、というモデルですね。

これはさもありなんというモデルなんですけど、だったら、どうしてずっと新潟にいないの>白鳥といいたくなる。シベリアでは夏場にえさが存在するかもしれないが、かといって、新潟の夏にえさがなくなるわけではあるまい。

ずっと新潟にいればいいんじゃない。シベリアに比べて、新潟の冬は「暖かい」かもしれないが、シベリア以上の豪雪地帯です。雪はえさのいろいろを隠すでありましょう。新潟で冬を過ごせるものなら、シベリアでも過ごせそうだし、えさが豊富なところに住みたいなら、ずっと新潟にいればいい。いや、新潟よりシベリアのほうが自然が豊富に残っていて、なんて理由は、どう長く見積もっても、ここ千年以内の話ですから、それは考慮にいれなくていい。人類が日本列島でデカイ顔をする以前から、白鳥は同じように旅をしていたでしょうしね。

つぎに考えたのが、避暑あるいは避寒。シベリアの冬があまりにも寒いので、新潟に避寒に来る。しかし、新潟の夏はあまりにも暑いので、シベリアに避暑に行く。これもなあ。なんだかへんだよなあ。キミたち、そこまで軟弱なの、といいたくなる。

避暑避寒で得られるメリットより、数千キロを毎年2回旅行しなきゃなんないコストのほうが、ま、しろうと考えですが、デカそうじゃないですか。ぼくだったら、ちょっとくらい寒くたって、そこに留まりますな。

だいいち、避暑避寒モデルでは、いわゆる夏鳥がわけわかんなくなる。夏に日本に渡ってくる鳥たちの「避寒地」はたしか熱帯アジアであるはずです。熱帯アジアってのは、夏、暑いの? 熱帯ってのは、夏も冬もそう変わんないじゃないのか(電車の中ですから、その辺はよくわかってない)。きっと12月でも、けっこうあったかいんじゃないかなあ、と。寒暖の差がない、っていうのですかね。

どうも違うぞ。

で、思いついたのが、対捕食者戦略です。

動物にとって、もっとも真剣に考えなきゃならないことが、捕食者に対してどういう回避策をとるのか、ということであるのは明らかでしょう。毎日どうやって餌をとるかも大事だし、どのようにして配偶者を見つけるかってのも大事でしょうが、食われちゃったら元も子もない。どうにかして食われないような戦略をみつけないとなんない。

それが渡りの理由ではあるまいか、と。

これを思いついたには、ひとつ前提があります。それは北アメリカに住む17年セミの存在です。アメリカには17年セミっていうセミがいるっていうじゃないですか。セミってのは、長い年月、地中で幼虫の状態で過ごし、何年かたって羽化して地上に出てきて繁殖してその生涯を終える。

日本に住むセミも、数年を地中で過ごすのですが、それでも毎年発生する。平成17年の夏にビービー鳴き喚いているセミは(もし地中で7年すごすのなら)いわば平成10年期の連中で、平成18年に出てくるやつは平成11年期のやつらになる。

毎年出てくるわけですね。

その点、17年セミは特異でして、17年周期でしか、成虫のセミは出現しない。つまり平成10年代でいえば、たとえば平成17年だけに出てきて、次に発生するのは平成34年になる。

なんでこんな変わった発生の仕方をするかという「理由」に対する仮説が「対捕食者戦略」なんですね。

17というのは素数です。つまり1以外の数字では割り切れない。たとえば、ある種のスズメがセミを好んで食うとしますね。日本のアブラゼミなんかは毎年大量にでてくるから、そのスズメとしては、俺らは夏場はセミを食うと決めることができる。ほかの3シーズンは、なんか別の食い物を探すとして、夏はセミおんりーで行こうじゃないか、と方針を決めることも、まんざら難しいことではない。しかし、そういうのは毎年発生するからこそ、決めることのできる方針ですね。17年に一回しか発生してこない相手を「主食」とすることは難しいわけです。

時々思い出したように大発生することで、そのリズムを捕食者にあわせられないようにする。それが17年セミの戦略ではなかろうか、と。

もしかすると、渡り鳥の渡りのメカニズムも、それなんじゃないか。l

ずっと一年中同じところにいると、専門の捕食者が出現するかもしれない。しかし、年の半分しか存在していないなら、専門の捕食者は出現しにくくなる。

それが渡りの理由なのかも。

そこまで考えが進んだころにちょうど降車駅になりました。駅から家まで、ぼくはうきうきした気分で歩きました。だって、帰ったらネットも使えるし、事典もある。渡りの理論を確かめることができる。ぼくが電車の中で考えたことが、どこまで「スジ」のあるものかどうかを検証することができるわけです。

しかし、それはザンネンでありました。

帰ってから調べた範囲では、渡りの理由を対捕食者戦略だと示唆している情報は見つからなかったのです。
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