2 坊ちゃんの金銭感覚
  [初出] 03.01.20  [最終更新]  [平均面白度] 4.4  [投票数] 15  [コメント数] 1
夏目漱石の作品にはお金がよく出てくる。その使い方がまたウマい。ま、文豪であるから当たり前、ぼくのようなチンピラが生意気な口をきくことはないだろう。漱石とお金の組み合わせといえば、泥棒に入られた苦沙弥先生夫妻の会話シーンを思い出す人も多いだろう。被害届を出すために盗まれた品物とそのネダンを列挙していく抱腹の個所だ。帯のネダンから始まった会話は山の芋で締めくくられる。

「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかし御前は知らんと云うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」
「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」

このままで十分面白いのだけれど、ここでこの「十二円五十銭」の金銭感覚がわかれば、その面白さはもっと大きくなるんじゃないかな。

漱石の作品中で他の作品よりだんぜん金銭の登場が多いのは「坊ちゃん」に違いない。自分の給料が正確にいくらか覚えていなくても、坊ちゃんの月給が四十円だってことを知っている人は多いだろう。

「坊ちゃん」からお金の出てくる場面を抜き出してみる。

まずは大きい金額から。父親を亡くした坊ちゃんは兄から遺産として六百円を受け取る。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。

その金の使い道として、坊ちゃんは「ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう」と考え、学資に使うことを考える。「六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。」

三年間の生活と学資がまかなえるのだから、相当の金額だ。今なら600万円でも難しかろう。一円=1万円換算でもちょっと安いかな。

その他に収入があったのかどうか定かでないが、卒業後松山に赴任する坊ちゃんが持っていたのは三十円であった。
おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。

東京松山間の旅行に十六円かかっていることになる。いまならどんなに「雑費」を使っても3万円もかからないだろう。さっきの一円>1万円説でいうと16万円超なんだけど。

松山中学に赴任した23歳の新任数学教師の月給は四十円である。今ならいくらくらいなんだろう。17、8万くらい? さっきの換算では40万円以上ということになり、けっこうな高給取りだ。中学をやめて東京に戻り「街鉄の技手」になった坊ちゃんの給料は二十五円。これも25万円ならかなり多いよね。

家賃。教頭の赤シャツの済んでいる家の家賃は九円五拾銭である。
赤シャツは一人ものだが、教頭だけに下宿はとくの昔に引き払って立派な玄関を構えている。家賃は九円五拾銭だそうだ。田舎へ来て九円五拾銭払えばこんな家へはいれるなら、おれも一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやろうと思ったくらいな玄関だ。

いくら田舎で家賃が安いといっても9万5千円じゃ無理だろう。東京へ帰った坊ちゃんは清と家賃六円の家に住む。
月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。

家賃は今よりずっと安いと考えていいだろう。月給25万で都内の一戸建ての借家が6万円なら、いいじゃないか。

宿賃はどうか。松山へ着いた日に泊まった坊ちゃんは旅館の待遇に腹をたて五円の茶代を渡す。
田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済まして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。

この五円は高いのか、安いのか。小説の終盤で山嵐の宿賃が出てくる。
「銭っていくらあるんだい」
「今日までで八日分五円六十銭払った。いつ飛び出しても都合のいいように毎晩勘定するんだ」

これだと1日七十銭のわりになる。一円1万円説だと7000円だから、まあまあ妥当なところか。道後温泉のまんなかにある宿屋だから、今じゃ7000円じゃ無理だろうけど。

安いところではどうか。山嵐に奢ってもらった氷水は一杯一銭五厘であった。一円1万円説だと150円換算になる。まずまずだな。団子は二皿七銭。700円? このあたりはわからなくもないが、汽車になるとずいぶん高い。松山港から市内までの運賃が三銭だ。
ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である

「道理で安い」なんていったって、今までの換算式では300円である。5分の乗車で300円は高いでしょう。
上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田まで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発して白切符を握ってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもすこぶる苦になると見えて、大抵は下等へ乗る。

今も路面電車は運行しているが、市内から道後温泉までは170円である。そういえば東京松山の運賃も高かった。交通機関は高かったと見える。

関係ないけど、今回「坊ちゃん」を読み返して持った印象。なんで松山の人々は「坊ちゃん球場」とか「坊ちゃん団子」だとかというふうに、この小説を愛するのであろうか、ということ。郷土の誇りのように喧伝するのかということ。ぼくなら(小説上のこととはいえ)不愉快になるね。土地も人も終始一貫して激しくこきおろしているからだ。だいいち、この小説が発表されたのはたしか「ホトトギス」でしょ。おやぶん高浜虚子をはじめ松山人の梁山泊みたいな雑誌だった。ちょっとムカついたりしなかったのかねえ。

唯一褒めているのは温泉だけ。その温泉の湯銭は、
温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢だと云い出した。

「云い出した」のは生徒たち。800円で温泉+浴衣+流し+茶だ。今ふうに言えばスパー、ガウン、マッサージ&珈琲だからな。これは安いと言える。しかし、毎日往復十銭の汽車代を払って八銭の風呂代だと月五円四十銭になる。そのうえ湯の帰りに天麩羅蕎麦を四杯も喰ったりするんだから、これは四十円の月給取りとしては贅沢と言われてもしかたあるまい。まったくお節介ですが。

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いただいたコメント

さんによるコメント
結局 この時代の1円は現在の 5000円から1万円の間というところでしょうね。

<オタンチン・パレオロガス からこちらへ迷い込んだ者より>
[2004.04.21  #34]

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