9 門に出てくる瓦斯暖炉
  [初出] 2003.12.08  [最終更新]  [平均面白度] 0  [投票数] 0  [コメント数] 0
個人的に言えば、「門」より「三四郎」「それから」の方が面白く感じる。この三作は、いわば「不倫」の三部作なんだけど、こんなことくらいで、気にせんでもええやないか、と思うのは時代のせいか。

「門」は明治43(1910)年の前半に新聞連載された。

主人公の宗介夫妻は借家住まいであるが、ここには風呂場はない。
兄さんも朝出て夕方に帰るんでせう。帰ると草臥れちまつて、御湯に行くのも大儀さうなんですもの

と妻のお米が義弟の小六に言っている。

電気もきていない。やはりここでもランプ暮しである。
「其代り小六さん、憚り様。座敷の戸を閉てて、洋燈を点けて頂戴。今私も清も手が放せない所だから」


ただ、水道は来ていたようだ。
水道税の事で一寸聞き合せる必要が生じたので、宗介は帰り路に坂井へ寄つた。

このような記述でそのことがわかる。ただ数年前にこの家に越してきた時にはまだ井戸であった。
その頃はまだ水道も引いていなかつたから、朝晩下女が井戸端へ出て水を汲んだり、洗濯をしなければならなかつた。


小六が預けられていた叔父夫婦の家には、どうも水道が引かれていたようだ。
叔母の云付けで、障子を張らせられたときには、水道でざぶざぶ枠を洗つたため、矢張り乾いた後で、総体に歪が出来て非常に困難した。


宗介の家は、そう裕福ではない中流家庭であるといえるだろう。そういう家でも水道が引かれ始めているという時代の状況が、見て取れる。

近所の坂井は、裕福な家で、庭にぶらんことかもあるのだが、その家には電燈がある。
小六は春らしい空気の中から出た。そうして一町程の寒さを横切つて、また春らしい電燈の下に坐つた。


電話も引かれている。
「兄さん、医者まで行くのは急いでも時間が掛かりますから、坂井さんの電話を借りて、すぐ来る様に頼みませう。」


ガスの暖炉もある。
「さあどうぞ」と云ひながら、何所かぴちりと捩つて、電気燈を点けた。それから、「一寸待ち給へ」と云つて、燐寸で瓦斯暖炉を焚いた。瓦斯暖炉は室は比例した極小さいものであつた。


こういうふうな風俗をきちんとかき分けている所にも、漱石の小説の魅力の一端があるんじゃないかな。

さて、ガスといえば、電車の中には車内吊りの広告がある。
経済を心得る人は、衛生に注意する人は、火の用心を好むものは、と三行に並べて置いて其後に瓦斯竃を使へと書いて、瓦斯竃から火の出てゐる絵まで添へてあつた。


しかし、この小説が書かれた時点で、漱石邸には、まだ電気は引かれていないのだ。
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