6 明治40年・虞美人草
  [初出] 2003.11.17  [最終更新]  [平均面白度] 4  [投票数] 3  [コメント数] 0
明治40(1907)年、漱石は今風に言うなら東大教授を辞して、朝日新聞に入社した。これは当時の世間にとって、大きなニュースであったようだ。入社後初の新聞連載小説が「虞美人草」なのであるが、
駅の新聞売子は、汽車がつく度に、「漱石の虞美人草」「漱石の虞美人草」と触れてあるきさへした」(小宮豊隆)
というような人気を博していたそうだ。

考えてみると、夏目漱石の文壇デビューは、せいぜい2年前である。数作の小説を書いたに過ぎない。いくらベストセラー作家だとしても、デビューから2年の小説家がこれだけ注目されるのは、この時代であるからなのか、よくわからない。

若い頃「虞美人草」を読んだ時の感想は、なんだかよくわからない、であった。今回読み返してみても、この感想はほとんどかわらない。よくわからない小説である。つまらないといえばごくつまらないし、美しいといえばたいへん美しい。

今回、気がついたのは、漱石のリキミだ。それまでは学者の余技として、つまりアマチュアとして小説を書いてきたのが、今回は「プロ」としての作品だ。きっとリキんでいたんじゃないかな。

ともあれ、この小説の中の電燈・水道など「暮ら史」探検。ここでもまだ明かりはランプである。
同時に豊かな灯が宗近家の座敷に点る。静かなる夜を陽に返す洋燈の笠に白き光りをゆかしく罩めて、唐草を一面に高く敲き出した白銅の油壷が晴れがましくも宵に曇らぬ色を誇る。
ね。ちょっとリキんでいるでしょ。ともあれここでも家の中の明かりはランプである。が、博覧会の中にしつらえられたレストランのような建物の中では電燈が付いている。
冴えぬ白さに青味を含む憂顔を、三五の卓を隔てゝ電燈の下に眺めた時は、
私の見た限り、これが夏目漱石の小説中ではじめて「電燈」という言葉の出現した個所だ。

小野さんは孤堂先生からくずかごと「洋燈の台」の買い物を頼まれる。
小野さんは洋袴の膝を折って、五分心を新しい台の上に載せる。
「丁度能く合ふね。据りがいゝ。紫檀かい」
「模擬(まがい)でせう」
「模擬でも立派なものだ。代は?」
「何よう御座んす」
「よくはない。幾何(いくら)かね」
「両方で四円少しです」
「四円。成程東京は物が高いね
「琴のそら音」のところで三分心、五分心のことを書いた。ここでは「五分心」ということばをランプの代名詞として使っている。
「時に小夜の事だがね」と先生は洋燈の灯を見ながら云ふ。五分心を蒲鉾形(かまぼこなり)に点る火屋のなかは、壺に充る油を、物言はず吸ひ上げて、穏かな炎の舌が、暮れた許りの春を、動かずに守る。
私はまだよくわかっていないのだが、ランプの心はときどきハサミで切って整形する。整形のしかたはいろいろあって、そのひとつがカマボコ状なのであろう。

この小説の舞台は、京都の宿屋を除くと、東京の比較的裕福な市民の住宅なのだが、ここでもランプということは、まだまだ電燈が一般には普及していないと推測していいのだろう。
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