1 漱石家には電燈はあったか
  [初出] 2003.10.23  [最終更新]  [平均面白度] 4.6  [投票数] 5  [コメント数] 0
夜になれば電燈がともり、蛇口をひねれば水がでる。まあ、これくらいが近代生活のキホンだろうと思う。ぼくの場合、ものごころついたころからそういう生活だった。

翻って、幕末の庶民の暮しを想像するに、そういうものはまったくなかったってことはわかっている。本や博物館での見聞がもとになっているのだろうが、なんとなくその時代の生活はイメージできる。

であるから、こうした近代生活はここ130年間で徐々に整備されてきたってことはわかるのだが、その過程がイメージできない。

どの時点あたりで蛇口から水を出して使い始めたのか、どの時点あたりで電燈の光で夕餉の食卓を囲むようになったのか。

具体的に言うなら、夏目漱石家では電燈はあったのか、水道はひかれていたのか。

空襲の時には「灯火管制」ってのがあった(という文献的な)知識があるから、そのころには電燈はあったわけだ。もし夏目家に電燈がなかったとしたら、その間のどこかの時点で一般的になるわけだ。

その変化の過程が、どうもイメージできない。

この変遷を知りたい。最近、そんなことを考えている。

で、さきほどちらりと「吾輩は猫である」をチェックしてみた。

まだ頂戴するものは無いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂へ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプに翳して火を点ける。旨まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞ってまだ消えぬ間に、陰士の足音は椽側を次第に遠のいて聞えなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外迂濶なものである。


泥棒が侵入してきたシーン。苦沙弥先生の家では、やはりこの時点では電燈はない。

蛇口、水道という単語で検索してもなにも出てこないので、水道があったかどうかはこの作品だけでは不明。

ただ金持ちの金田の家の場面では電話が出てくる。金田家には電燈があったかどうかは不明だが、電話はあったわけだ。

近代史の中での「暮しの変遷」は魅力的なテーマだと思う。
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