7 チョボ六チョコ六ヒキ六(2)
  [初出] 02.07.24  [最終更新]  [平均面白度] 4.67  [投票数] 6  [コメント数] 0
新生児のころはチョコ六と呼んでいた熊弥が、5歳児の段階ではヒキ六になっている。いつの時点で愛称が変化したのか。それを追いかけてみる。

1908年2月13日の日記には「此頃チヨコ六の名を専らヒキハンといふ」とある。そろそろ8ヶ月、カタコトをいい、はい歩きだす頃だからだろう。これが「ヒキ」という語の出始めだが、それでも日記中には以前このあとも「チヨコ六」と記され続ける。

同月27日の項に、
下女チヨコ六を負ひあるく内鈴木久枝方の下女(玉)、此お子をチヨコ六さんとなづくるは真かときゝにくる。

という記述がある。けっこう有名になっていたと同時に、やはり多少はヘンな名前であると世間は認識していたことが想像できる。

意味が取りきれないでいるんだが、3月14日には、以下のような記述がある。
それよりしばらくして小児なき出す。妻夢に、ゆかの下に狸ありて「チヨコ六さん、化けるか」とくりかえすを(これは予等毎度小児にいふ詞、チヨコ六といふ猫かひしより出)予松枝に知せ、松枝之を聞きて諸処戸じまりすと見る中に、なき出せりなりと。


チョコ六が元は猫の名前であったことが知れる。この場合にいう猫は前に出てきたチョボ六ではないだろう。と、いうことはもしかしたら熊楠の少年時代のことだろうか。

日記ではないが、熊楠に「チョコいうて」という短い文章がある。
この語近時上方で一向聞かぬが、猫にチョコと名付けた例はある。それは女陰をオチョコと呼ぶとひとしく、また偶然スペイン語のチコ、チキトなどに似通い、小さい可憐な奴というほどの意らしい。猪口才や「チョッカイを出す」などから推すと、チョコとは無駄口をきく義らしいが、『膝栗毛』のこの所の意は、前文から察するに「間に合わせ」またはゴマカシなるべく聞こえる。あまり新出来の詞でない証拠は、貞享4年板、西鶴の『懐硯』二の終り、信太森で狐ども芸尽しを催すところに、「三番に家原に住みて年久しきチョコ兵衛、姿は二八の花のかお、色紫の帽子を懸けて、いずくへ飛ぶの定めなく、しどけなきなりふり、満座死にますると悩みける」。猪口才、また走り廻りの小早いものをチョカチョカした奴など称うると合せ考えると、チョコ兵衛は小悪戯をなす奴ぐらいの意味と思わる。(平凡社版 全集5)

熊楠の「チョコ」という語に対する語感が伺われる。私の少年時代くらいまでは、関西(京都)で「チョカチョカした」という形容詞は日常的に使っていた。「あいつはチョカやさかいに」といういい方も普通。私はよくそう言われていた。標準語でいえば「オッチョコチョイ」に近いか。

先日テレビでサッカーの日本代表新監督の名前が本名ではなく「やせっぽちという意味のあざな」と紹介していたが、ジーコ=チコなのか。

ヒキ六の呼び名が始めて日記に登場するのは5月1日のことだ。この日の日記にはチョコ六とヒキ六が混在している。このあと数日はチョコ六ヒキ六が混在して書かれているが、この月の中旬あたりから後は、もっぱらヒキ六に統一される。

実はこの年、熊楠夫妻は別居している。4月9日に夫人は実家に帰った。日記では曖昧であるが、数日以内に熊楠は熊弥をひきとり、知人に養育を委託し、毎日つれてこさせている。友人知人たちの尽力により、別居が解消し、夫人が戻ってきたのが7月。

日記とはそもそもそういうものなのだろうが、不和別居の理由や経緯はほとんど記されていない。が、この別居中にチョコ六→ヒキ六への改名があったことは興味を引く。熊楠の内部で何かが変わったのだろう。

別居という時期があったことを知れば、前回引用した部分が違う色彩で受け取れるようになる。もう一度引くことにしよう。ヒキ六が5歳の1912年1月27日。
夕飯のときヒキ六に、父母とヒキ六と三人並で飯くへば如何と問ふ(毎度問う也)にはずかし故いはずといふ。(トーサンとカーサンとヒキさん並で食へば家繁盛すと答ふるを例とす。)


ヒキ六熊弥は高校受験の日に高熱を発したことを契機に精神を病み、以降終生回復しないまま、夭折した。
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