4 大正元年の日記には
  [初出] 02.07.16  [最終更新]  [平均面白度] 4  [投票数] 6  [コメント数] 0
南方熊楠が大正元年にいじめられていた亀を8銭だして助けたという記事が気になった。これを調べてみたい。どうしたらよかろうか、と書籍の検索などをしているうちに、八坂書房から「南方熊楠日記」(全4巻)という大冊が刊行されていることを知り、なおかつそれが杉並中央図書館にあることがわかった。大正元(1912)年の分も第四巻に所収されている。

さっそくその第四巻を借りてきた。分厚い。A5版で450ページほどある。この巻では明治44(1911)年〜大正2(1913)年の三年間をカバーしているだけだ。つまり一日の記載分がけっこうあるってことになる。

1912年1月1日から順番にページをめくる。ご存知のようにこの年の夏に明治天皇が崩御し、改元がおこなわれた。大正元年という限りは、1912年の夏以降になるはずなのだが、とりあえず正月から目を通していく。

日記は日常の細かいことまで詳細に綴られている。非常におもしろい。熊楠は子供を溺愛したことは伝記等で知っていたが、たしかに子供に関する記述も非常に多い。この年、長男熊弥が5才、長女文枝はお誕生前なので、幼子のほほ笑ましい言動が頻繁に出てくる。

亀に関する記述もかなり多い。だいたいにおいて、南方家ではいろんなものを飼育している。コウモリ、カニ、セミなど。しかしその中にあっても亀は別格であるようだ。8月7日の項に、

午後亀に果子やらんとするに、大なる牝亀五年かひおきしもの垣を破りにげあり。昨夜より今朝の大雨中に逃がしならん。因て松枝下女と久くさがすも見当らず。近隣へ告る。


とある。亀が逃げたのでご近所に通報したというのだから、これはホンキだね。

この近所への通報が広まったんだろう。4日後の8月11日には
山口鶴吉に子(八才斗り)より石亀一つかふ。十一銭。庭の水中に放つ。

という記事がある。いじめられていたわけでもなさそうだし、「天神崎のかえりがけ」でもない。値段も違う。そのうえイシガメだ(お花はクサガメ)。これじゃないでしょう。

夏の初めに逃げた亀は秋になって発見される。10月2日。
此朝向ひの女児松枝(六才)来り、レビット方の枇杷の木の藁の中に亀ありと、子犬に哮られ居ると告ぐ。下女次に松枝〈こちらは熊楠の妻〉之くに、はや梅という下女バケッツにてふせあるのをもらひ帰る。去る頃大風雨の夜逃去たる大亀也。糸にて寸法さすに長六寸幅四寸八分あり。


つづいて10月26日には、
午後下芳養村大字ガケの小山三吉(牛肉行商)予と年来知人也、前日亀失ひしとき頼み置しに、今日午後亀大なるもの(ウンキウ種、下甲の端橙紅也)十銭で湊で買しとて持来る。十五銭でかひ、庭の圏中に放つに、他の三疋(二疋は黒亀、一疋はクサダ?)と折合悪く、今夜も明夜も水中に棲ず、圏の隅の柴枝の下に息み居る。

「ウンキウ」とはWeb検索してみると、どうやらクサガメとイシガメの雑種を指すようだ。これもいじめられていたわけでもないし、値段も違う。ただ、この記事で、亀の総数は4匹であることがわかる。

これ以降、年末に至るまで、亀の記事は冬眠を始めたことなどしか記載がない。

つまり大正元年には「いじめられていた亀を8銭だして助けた」という記述はなかったわけだ。
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