3 鬱屈の理由
  [初出] 03.04.14  [最終更新]  [平均面白度] 3  [投票数] 1  [コメント数] 0
部屋が新しくなるのに、何がストレスだ、とお思いになるのはもっともだ。ぼくだって、それが悲しいわけじゃない。ゆか坐でなくなるのは少々節を屈する感があるが、それもなあに、フローリングの上にべったりアグラをかくことだってできないわけじゃない(ツマは怒るだろうけどね)。本箱増設は嬉しいし、目先が変わることへの期待もある。

じゃあ、何がストレスか、というと、工事のための準備作業がツラいのである。重くのし掛かっているのである。

だって、仕事部屋の畳をあげて、そこに床を貼るんだぜ。必然的に工事の際には、部屋の中のものは全部動かしておかねばならない。これがきわめて大変だ。

まず、けっこう大量の本がある。これをいったん本箱から出し、本箱をリビングに退避し、そこに本を入れる(本を出しておくだけの余分のスペースがないため)。この作業を繰り返して本箱をすべて移動する。これが大変(ただし、この作業は未着手)。

それ以上に大変なのは、畳の上に積み上がっている本やその他のブツ。これをどうするか。

また押し入れの中にも膨大な物資がある。これをどうするか。

ぼくは整理整頓ができない上に、けちである。そしてものが捨てられない性格でもある。これらはすべて連動しているのかもしれない。

ものを抱え込むというスタイルは、一概に悪いとは言えない。というより、そういう性格をベースに仕事をしてきたので、仕事のスタイルそのものが、大量に蓄積したなにかを使って行うということにもなってしまっている。そのため、ますますこの傾向は助長されている。

ツマからは押し入れのものをいったん出して、工事が終わったら元へ戻すという方法はとらないことを強く申し渡されている。この際、捨てるべきものは(こっちが捨てるべきと思わないでも、世間的に捨てるべきであるはずのものは、も含む)、すべて捨ててしまえというわけだ。もちろん元へ戻そうにも、そこにはもう押し入れはなくなっている。なんらかの形で処分するしかない。

数日前からその作業にいそしんでいるのだが、これが遅々として進まない。ぼくとしては大鉈をふるって捨てているつもりなんだけど、まだまだ残る。残っていくもの、つまり、これは残そうとぼくが一応決断したブツを見て、ホントにこれが将来必要なのか、という思いがよぎる。SCSIケーブルなんて、ホントに今後使うことがあるのか? たしかにあれこれ考えると、持っていた方が有利かもしれないが、それって、他で代替がきかないのか。

ひとつひとつについて、そんなこんなをぐずぐず考える。新聞記事のスクラップも捨てた。もう、ぼくとしては清水の舞台から飛び降りる決断ですよ。

これはもちろん言うまでもなく整理整頓作業である。お片づけである。まず、これがダメなのね。不得意分野であるから、これがココロにおおきくのし掛かる。ぼくは脱脂粉乳が飲めなかったから(今でも飲めない)給食の時間が憂鬱でしょうがなかったけど、それと同じような心境。

そのうえ、捨てるべきか捨てざるべきかの決断。これもココロに煩悶を沸き上がらせる。貴重品なんだけど、こう雑然と保管しているだけではイザというときに活用できないのもわかっている。いままでもそういうことは頻繁におこっていたのだ。しかし、捨てるのもナンだし。いや、ここらでいっぱつ踏ん切っておかねばならんだろ。などなど。

押し入れの中のブツは重いものが多いので、肉体的にもかなりキツい。

こういう数日を送ってきたことが、リンパ腺腫れにつながっているんですね。

ああ、鬱屈する。
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