2 海が一番怖い
  [初出] 2005.02.20  [最終更新]  [平均面白度] 3.6  [投票数] 5  [コメント数] 1
うひゃ。

前回書いたものを読み返すと、気恥ずかしいな。

要は、好きなんですね。漂流譚が。

ぼくは内陸の生まれであり、あまつさえ泳ぎが不得意であることもあって、海が非常に怖い。海だけではなく、いろんなことが怖い。つまり関西でいうところの「こわがり」である。

高校生のころ、友人と日帰りで山へ行き、なんの拍子か、帰れなくなって山中で野営したことがある。当然当時のことであるから携帯電話なんてしゃれたものはない。無断外泊山中版ということになってしまった。

友人ちは、ひじょうにラジカルというか「開かれた親子関係」であって、つねづね尊敬もし、またうらやましくも思っていたのだが、その深夜、友人の母親からウチに電話があったそうだ。

「あとで笑い話になってもいいから、警察に連絡した方がいいんじゃないでしょうか」

おどろいたことに(ずっと後年になってから知ったことだが)、うちのお袋は、ふだんのキャラとは一変し、少し様子を見よう、と提案したらしい。

「あの子はとてもこわがりなので、あぶないことはできないと思います。いまもどっかですくんで隠れているのでしょう」

正解! さすが母親ってとこかな。

その筋金入りのこわがりのぼくでも、中でも海がいちばん怖い。夜更けに浜辺にいるだけでも、なんだか底知れぬ恐怖を感じる。浜辺にいてもそうなんだから、大海の中にひとりほうりだされたら、どのような気持ちになるのか。考えるだに恐ろしい。

小さな船でも、陸地と直角に沖合に進めばほんの1時間ほどで全方位海しか見えないところまでいける。圧倒的な海の広さのなかで、自分の足が乗っている船はあまりにちいさいということが、カラダでわかってしまう。

もちろん、ほぼ泳げないぼくは、ここでむき身で投げ出されたら短時間の生存も覚束ない。たとえ泳げたとしても、あまり状況認識にかわりはないだろう。それに、この絶え間ないうねりの下にはどのような生物が隠れているか、それはしれたものではない。

数日、海岸でキャンプするだけでも唇は潮風で固くなる。そっとなめると、無数のひび割れと強い塩分が感じ取れる。

それが、何日、何週、何月も、結果のわからないまま、全周海のまっただなかを流れ行くのである。

しかも、漂流そのものにはドラマはない。毎日違ったことがあるわけではなくて、延々、何日間もまったく同じ日々が続くのだ。海しか見えない。新しい食べ物も、新しい水もない。当然のことながら、新しい人に会う訳でもない。ニュースがない日々を繰り返していき、積み上げていくのだ。

こわいでしょ。こわいです。

ぼくは、そののっぺりとした真っ青な日々を耐えることができないと思う。たぶん3日が限度だろう。現に(前回書いたように)多くの漂流者は、それくらいで命が絶えるという。そりゃそうだろう。

しかし、漂流譚が物語として成立するのは、まず最初にその無限の蒼い世界で生き延びるという前提がある。

怒濤の激情のあげくの死、あるいは生はわかるような気がする。アドレナリンの一気放出のかなたにある生死は想像ができる。しかし、コズミックタイムの中で漂流していく「ぼく」のきもちのありようは、まったく理解の外にある。

ぼくが漂流譚に惹かれるのは、単純にそういう事情であるのだろうなと思う。
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いただいたコメント

せき さんによるコメント
>ぼくは、そののっぺりとした真っ青な日々を耐えることができないと思う。たぶん3日が限度だろう。

 いえいえ、こわがり石田さんであれば1日が限界でしょう。なんとなれば、真っ青な日々と書かれてますが、昼のあとにはそれこそ炭を流したが如き漆黒の水の上にただ1人、という黒の世界が待ってるからです。

 僕はそんな真っ黒な海の中に身体一つでグイグイ潜っていく際の類い希なる気持ち良さを知ってますが、そんな僕でさえ、水面を泳いでるだけでも暗黒の世界に引きずり込まれる様な独特な緊張感、ある種の恐怖を覚えます。

 そう、夜の海には、中世ヨーロッパの海図に出てくるような海獣が今も棲息してるのであります。彼らは、肉体的にはまだ健康を保ってる石田さんであろうとも、その精神を引きずり出し食らうのであります。[2005.02.25  #159]

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