4 モリーの絵
  [初出] 02.10.04  [最終更新]  [平均面白度] 5  [投票数] 8  [コメント数] 0
先日、動物が絵を描く現場をこの目で見てきた。上野動物園。いささか感動した。絵を描いていたのはオラウータンのモリー。1955年に上野動物園に来たメスのオランウータンだ。55年っていえば、まさしく私の生まれた年なので、あきらかに先輩筋の年齢である。50歳。これは上野動物園でもガラパゴスゾウガメに続く第2位であるらしい。

現在日本の動物園では、希少動物の繁殖のために、同じ種の動物をある動物園に集める作戦を、全国的に協力して行っている。であるからして、昔のように、上野動物園に(はたまた野毛山に、天王寺に、岡崎に)いろんなものがいる、ということはなくなっている。たとえば上野はゴリラを担当しており、いろんな動物園からゴリラが集まっている。最近、上野に行ってない方はご存じないだろうが、今の上野動物園のゴリラ舎はすごいことになっている。反面、いなくなっている動物もある。オランウータンは多摩動物園に集められており、上野にいたのも、そこへ転居していった。しかしモリーはあまりにも老齢で、環境の変化に耐えられそうにないという理由で、上野で余生を送っている。住んでいるところは、西園不忍池ほとり、鳥たちのゲージの横の奥まったところにある目立たぬ場所だ。

今までからも、モリーはほぼ一日中寝ているんだけど、常連(が、いるんだな、上野動物園)が「モリー、モリー」と大声で声をかけると、やおら起き上がってこちらを向いたりしていた。

現在は片目はまったく見えず、もう一方の目も、自分の指で開くようにしないと、十分には見えないという。

今年8月末、飼育員が「興味をもつかも」と考えて、モリーに絵を描いて見せた。色鉛筆と飼育員が描いた絵の両方をモリーに見せてみると、最初のうちはモリーは絵を欲しがり、じっと眺めていたのだそうだが、3日目にとうとう色鉛筆を要求し、絵を描き始めたという。

現在、彼女のゲージの前では作品の展示がおこなわれている。

こりゃ見とかんといけんんばい、と上野動物園にでかけた。

おせじにも立派とは言えない展示(幼稚園の教室の後の壁に園児の絵がピンで貼ってあるのと、大差ない)だったが、数枚の絵が飾られている。おそらく処女作から近作までが時系列で並べてあるように思うのだが、単彩で、単純な初期作から、かなり多様な技法の近作まで、作品の上でも進歩が見られる。

ただし、画用紙にクレヨンであるから、タイの象の絵のように、数万円で販売することは難しいかもしれない。

収穫だったのは、絵そのものより、その時、モリーが実際に絵を書いている「現場」を目撃したことであった。

モリーはいつも工事の際にセメントを練るためにつかう容器(なんていうのかなあ)のなかで寝転んでいるんだけど、その姿勢のまま、画用紙を抱き抱えるように、熱心に絵を描いていた。

容器の横には完成したとおぼしき一枚の絵が置いてある。驚いたことに、その裏面は真っ白だったのだ。つまりモリーはおもて面だけに絵を描いているわけだ。画用紙はどこかに固定されているわけではないから、簡単に裏返すことができる。でも(たまたまかもしれないが)モリーは裏返してうら面にクレヨンを使うということがないことがわかった。これって、なんらかの「作品意識」を感じさせる行動なのではなかろうか。

50歳のオランウータンが実際に絵を描いている「現場」を見ることができた人間は、人類史全体を通じても、そう多くはないはずだ。おそらく数百人の単位を下回るだろう。

わたしはそのひとりになりえたわけだ。これは幸せなことであったし、また、そこで見た光景は終生忘れないだろうと、思う。

もしあなたが東京に住んでいるなら、もしくは、この記事を掲載日からほどなくご覧いただいたのであるなら、ぜひとも上野公園まで足を運んでいただきたい。入場料600円は、モリーとその作品を見るだけのためでも、安すぎるくらいだ、と思うのだ。
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