11 公侯伯子男
  [初出] 2006.02.22  [最終更新]  [平均面白度] 3.71  [投票数] 17  [コメント数] 0
ご存知の通り、現在の日本には存在しないが、1947年までは華族制度があった。要するに「爵位」ですな。

華族とは、最初は江戸時代の公卿(お公家さん)と諸候(殿さま)をあわせて「華族」としたのであるが、明治17年に華族令が公布され、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の5段階の爵位が与えられるようになった。同時に「国家に勲功があったもの」もまた殿様やお公家さんの他に華族に列せられることになった。

明治政権というのは、ある意味、革命政権であるから、旧時代の家柄だけを華族とするのはシャラくせえと政権中枢を占めたいわゆる元倒幕の志士たちが思ったんでしょうね。だもんで、たとえば伊藤博文はこのとき伯爵になった(のち、侯爵、公爵にお直りしている。こういう爵位のアップグレードを「陞爵(しょうしゃく)」という)。

この後、軍人を中心に「国家に勲功」があったという理由で爵位を授与される人(というか「家」だね。爵位は相続できるから)が毎年のように続いた。

家柄でなく、勲功で華族になった家は500家くらいある。

華族令が制定された時には、一気にたくさんの人が爵位を受けたから、ちょっと省くとして、1901年以降(つまり20世紀になってから)約45年間では196人が受爵している。1年に4人ちょっとである。

以前から、どういう人がどういう事情で爵位を授けられたんだろうかと気になっていた。軍人が多いということはどこかで読んで知っていたけど、それだけじゃないだろう。どこかに一覧表がないかなあと思っていたんだけど、さすがインターネット。あったんですね。華族の一覧表。華族一覧表が、それ。すごいですねえ。すべての華族の受爵年月日とその理由などが網羅されているのである。さっきの45年間に196人というのも、このページのデータを元に数えたものである。

この196人の内訳をみると、やはり軍人が多い。陸軍62、海軍41と、半数以上が軍人である。続いて官僚・政治家が45、学者が16、実業界から16となっている。残りの16は「維新の功」。たとえば「有吉立礼 男爵 熊本藩家老 1万8000石 父立愛の維新の功」という具合。

素直な感想をいえば、意外に軍人が少ないという印象だった。20世紀前半は世界的に戦争の50年間だったし、国の成り立ちからしても軍人が中心になっていた時代であったわけだから、もっと軍人の割合が多かろうと思っていたのだが、意外に少ない。

戦後、華族制度は廃止されたわけだが、もし継続していたら、どのような人々が受爵したのだろうか。少々好奇心をさそうテーマだ。戦争もなかったし、建前としては軍隊もなかったわけだから、軍人はほとんどないだろう。そのかわり、イギリスでミック・ジャガーやエルトン・ジョンがナイトに叙せられたように、スポーツや音楽、エンタテイメントの分野での受爵はふえたろう。戦前の軍隊の役割や使命を受け継いだのは、産業界であるわけだから、そこからの爵位が半数くらいにはなるだろう。

ノーベル賞受賞者はきっと叙爵したことだろうし……、などと考えていくと、思いは貴族院のことに及ばざるをえない。

華族の特典というか任務のひとつに「貴族院議員になれる」ということがあった。華族のうち、侯爵公爵の全員、伯子男爵からは互選で選ばれた議員(150人)の他、勅任議員として、国家に勲労ある者または学識ある者(125人)、学士院会員の互選(4人)、高額納税者の互選(66人)で貴族院は構成される。ちなみに全員が男性である。

戦後、新憲法下で貴族院は廃止され参議院となって、衆議院とおなじように公選制になった。参議院は「良識の府」と言われるが、それは貴族院のキャッチフレーズを踏襲しただけのことであって、参議院議員の選出方法は衆議院と同様に政党本位の公選制であるのだから、衆議院以上に「良識」があるはずがない。

二院制というのは、結局のところ、「違うシクミで選定された合議体によって、より広い民意を政治に反省させる」というメリットを狙っての制度だろう。しかし、現行のような選出・運営のシクミでは、十全にその機能を果たしていないように思う。参議院不要論が出てくる所以だろう。

違うシクミという点では、貴族院の考え方は再考に値するのではなかろうか。もちろん旧憲法下の貴族院を現代に復活させるなんつーのはナンセンスだろうが、政党主体の選挙で選ばれるのとは違う選出方法を考えてもいいのではないかなあ。

世襲のできない爵位システムを復活する。われわれの社会にそれぞれの分野で大きく貢献した人にたいして爵位を与える。誰が、どのような選定基準でもってその選定にあたるのかは難しいところがあるけど、それはともかく、選ばれる人は当然のことながら、高齢者が中心になることは間違いがない。業績、人品ともにふさわしい人は、それなりに年齢を重ねているはずだ。

そういう方々を年に4、5人ずつ選び、叙爵し、参議院議員になっていただく。終身である。一種の「長老政治」ですな。

最近はなんでも若けりゃいいという風潮が盛んであるが、我が国の伝統から見れば、指導者が若けりゃいいというものでもない。年寄りの言う事を傾聴する社会なのである。当の年寄りの側も、そういう伝統の中で生きてきたので、自分が若かった時とは違って、実に滋味深く、叡智に満ちたことを言うようになるもののようだ。

たとえば昨年亡くなった後藤田正晴。現役の頃の後藤田の印象は冷酷非情なキレ者の元内務官僚というイメージだった。それが現役引退のあと、テレビ番組でちょっとシニカルな笑いを浮かべながら静かに語る姿を見るにつけ、その印象がごろりと変わった。ふむふむと聞き入ってしまう。納得してしまう。

現役の頃は立場や役割があってフランクに自分の考えを表明できないこともあるのだろうが、それ以上に、自分や自分の属す組織の当面と利益や思惑から自由に、エッセンシャルなことを、長い経験の裏打ちの中で語っているように思えた。

同じような印象は、最近のナベツネにもある。

こういう年寄りたちの意見と判断をじっくりと聴き、尊重することが必要な時代なんじゃないかな、と思う。

それにしても、爵位を復活するなら、だれがその対象になるんでしょうかね。

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