25 消えた馬橋のナゾ
  [初出] 2004.07.21  [最終更新]  [平均面白度] 4.6  [投票数] 5  [コメント数] 1
前回「ヘボン式」記事に対する鈴木さんのコメントに触発されて思い出したこと。

うすぼんやりした疑問であって、ちゃんと調べたわけでもないのだが……。


ぼくは杉並区阿佐谷南という行政区画に住んでいる。杉並区内の行政区画は江戸時代にあった20の村を基礎にしている。阿佐谷南という名前は阿佐谷村という旧村名を由来としているのだ。隣駅高円寺のあたりは高円寺村だった。高円寺にしても阿佐谷にしても、そのままでは広すぎるためか、現在では高円寺北、高円寺南、阿佐谷北、阿佐谷南というふうに分割されている。

区内には、村名由来でない地名もある。桃井とか今川がそうだ。村名は大宮前だったのに、現在は宮前と呼ばれているところもある。しかし、おおむねは旧村名をもとに、いまの行政区画ができているといっていい。

しかし、江戸時代は、高円寺村と阿佐谷村の間に馬橋村というのが存在していた。

我が家の位置は、よくわからないが、おそらく馬橋村の領分なんじゃないか。区政施行後、この馬橋という地名がばっさりとなくなってしまった。一部は高円寺に併呑され、一部は阿佐谷に吸収され、青梅街道の南側は、旧村名にはなかった梅里という地名になってしまっている。旧20ケ村の中で、その存在が跡形なくなくなっているのは、馬橋だけだ。

馬橋という名前は、馬橋町内会とか馬橋児童館とか馬橋公園とかというかたちで残ってはいるが、行政区画としては完全に消えてしまった。

これまたよくわからないが、馬橋という地名が行政上消えたのは昭和の初年だとおもう。このとき、どういういきさつがあったんだろうか。たとえば、馬橋地区の中で抗争があったとか、国鉄の駅がなかった馬橋という地名に未来をたくせないと人々が感じたとか、梅里地区(これは同名の都電の停留所があった)が分離独立を主張したとか、ときの区長にさからって、いじわるをされたとか……。

気になってるんですね。
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いただいたコメント

ichiro さんによるコメント
田舎くさいからとあります。
http://www.mabashiinari.org/chimei/main19.htm

うちのそばには「大宮前」の表札が残っている家があります。
[2004.07.22  #88]
多謝。
時代を感じますね。いまなら馬橋存続の方向だったんじゃないかな。(いしだ)


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