6 足利学校
  [初出] 2003.09.14  [最終更新]  [平均面白度] 4.36  [投票数] 11  [コメント数] 1
足利へ行ってきた。足利学校を見た。気持ちのいい場所だった。

孔子廟の前庭の三本の月桂樹にそれぞれ東郷平八郎。伊東祐亨、上村彦之丞手植えと書いた看板が立っている。日付は日露戦争終結の翌年明治39年12月23日。

提督手植えの月桂樹


東郷平八郎は言わずとしれた連合艦隊司令長官だし、伊東祐亨は海軍軍令部長で上村彦之丞は第二艦隊司令長官。肩書きは当時のものになっている。上村はのちに海軍大将に、東郷は元帥になっている。この面々は当時、超ヒーローだったわけでしょ。「閣下、ぜひとも」とかなんとか言って、植えてもらったのだろう。

三人とも鹿児島出身で年格好もだいたい同じ。伊東が最年長で当時63歳。東郷58歳、上村57歳。どういう理由で足利を訪れたのだろうか。仲良しグループの旅行だったわけでもあるまい、などといろいろ想像がふくらむ。

図書館前には「顔子七十四代孫 顔振鴻氏手植(昭和十年五月四日)」「孔子七十一代傍系孫 孔昭潤氏手植(昭和十年五月四日)」がある。どうもお手植えが好きな学校のようだ。他にも楊貴妃の墓所のボタン、孔子の墓所の楷樹の種を貰ってきて育てている。

孔子と顔回の子孫手植え


足利学校の住所は栃木県足利市昌平町2338だそうだ。「昌平」は孔子の生誕地「昌平郷」から来ているのだろう。そういえば湯島聖堂も昌平坂にあるし。なんか、こういうミーハー的な地名命名はおもしろい。


その名も「昌平町」


学校の前の道は「学校通り」ではなく「学校様通り」である。様付けで呼ばれる学校も、他にはないだろう。


さま付けで呼ばれる学校


《→このページの先頭へ》

この記事は面白かったですか?

お読みになっての印象を5段階評価のボタンを選び「投票」ボタンをクリックしてください。

つまらなかった           おもしろかった  

 

≪この記事に対していただいた「投票」11件、「平均面白度」4.36≫

いただいたコメント

弟子某甲 さんによるコメント
見事な写真、敬服いたしました。              伊東・東郷・上村3将軍足利学校訪問の謂れに就いては、愚生も1960年頃から「?」としております。            足利市史或は3将軍の伝記を閲すれば、その辺りの事情が解るのかもしれませんが、生来の物臭から見ておりません。以下は愚生の勝手な憶測です。勿論、地元からの招聘陳情もあったとは思いますが、日清・日露開戦前の海軍内部戦史研究資料の中に足利学校所蔵文書があり、その戦勝御礼もあっての海軍3将軍「足利行」となったとみれば、腑に落ちます(足利学校では、数百年に亘る外典研究の蓄積がありました。天海僧正も此処で兵学を修めている由)。蛇足ですが、足利学校西方約2里に古刹鶏足寺参道入口の八幡宮(?)に東郷大将揮毫の碑があった記憶があります。これまた蛇足ですが、信濃国分寺本堂には、伊東大将揮毫の立派な扁額があります。何れも明治39年頃だったとおもいます。

                  [2005.10.16  #238]

コメントを書く

  
メールアドレスはWeb上では公開されません